京都市下京区の烏丸松原を西に少し入ったところに、新玉津島神社(にいたまつしま じんじゃ)という神社があります。こちらの神社には今も多くの人が短歌、俳句、文章の上達祈願に訪れているそうです。

新玉津島神社の基本情報

【住所】
〒600-8427
京都府京都市下京区玉津島町

【最寄り駅】
地下鉄烏丸線 五条駅2番出口(徒歩4分)

【電話番号】

【Google マップ】
https://goo.gl/maps/Cd6JBVhv4EPHsQTJ9

新玉津島神社の由来など

神社入り口の立て札には、神社の歴史や今も多くの人が短歌、俳句、文章の上達祈願に訪れている理由などが書かれています。

立て札より

新玉津島神社は、文治二年(1186年)後鳥羽天皇の勅命により、藤原定家の父で平安末期から鎌倉初期の歌人として名高い藤原俊成が、五條大路(現在の松原通)烏丸から室町にかけての自分の邸宅地に、和歌山県歌浦の玉津島神社に祀られている歌道の神「衣通郎姫(そとおしのいらつめ)」を勧請した事に由来する。
それに先立つ寿永二年(1183年)、後白河法皇の院宣により、藤原俊成はこの邸宅を和歌浦として「千載和歌集」を編纂(へんさん)し始めた。ちょうどその年、木曾義仲が京に攻め入り、平家一門は都落ちするが、門下の一人である平忠度は、危険を顧みずこの屋敷に引き返し、「一首なりとも選んでほしい」と自分の秀歌の巻物を献じた逸話は有名で、俊成は、その中から次の一主を選び、千載和歌集に載せたという。

さざなみや 志賀の都は あれにしを むかしながらの 山さくらかな

江戸時代には、「源氏物語湖月抄」などの古典注釈の第一人者で、松尾芭蕉の師である北村 季吟が、約7年間、この神社の宮司として住み、万葉集の注釈書「万葉拾穂抄」の編集に励んだ。
これらの由縁から、今も多くの人が短歌、俳句、文章の上達祈願に訪れている。

文章上達は魅力的なご利益ですね!

おすすめの記事